生体分子モーターの回転駆動機構

背景

F1-ATPase は、ATP(アデノシン三リン酸)の加水分解によって得られる化学エネルギーを機械的な回転運動に変換する生体内の分子モーターの一種です。ミトコンドリアや細菌などに広く存在し、ATP 合成酵素複合体(FoF1-ATP synthase)の一部として、生命活動に必要な ATP の合成や分解に関与しています(図 1A)。

図 1 ATP 合成酵素と F1-ATPase の構造、およびサブステップ回転の模式図

図 1 ATP 合成酵素と F1-ATPase の構造、およびサブステップ回転の模式図

1-ATPase は、中央に位置する回転子(γサブユニット)と、それを取り囲む固定子(三つのαサブユニットと三つのβサブユニット)から構成され、ATP の加水分解により回転子が回転することで、エネルギー変換が行われます(図 1B)。好熱菌由来の F1-ATPase では、この回転運動は 120 度のステップで進行し、さらにその 1 ステップが 80 度と 40 度の二つのサブステップに分かれることが、単一分子観察実験などで示されています(図 1C)。それぞれのサブステップ回転前の回転停止は、「ATP 結合待ち」と「ATP 加水分解待ち」と呼ばれます。最初の 80 度回転は ATP の結合と密接に関係しており、エネルギー変換の駆動源として重要と考えられています。これまで、F1-ATPase の回転機構に関する研究は、単一分子実験や構造解析によって多くの知見が得られてきましたが、回転運動がどのように進行し、どのような分子間相互作用によって駆動されるのか、その詳細なメカニズムは十分に解明されていませんでした。

研究手法と成果

F1-ATPase の回転メカニズムのうち、ATP の結合とアデノシン二リン酸(ADP)の解離が関わる 80 度サブステップ回転に着目し、その分子機構を明らかにするため、分子動力学(MD)計算を行いました。まず、F1-ATPase の 80 度回転前後の構造として、近年クライオ電子顕微鏡法で明らかになった「ATP 結合待ち」と「ATP 加水分解待ち」に相当する回転角度を持つ構造を基に、両状態をつなぐ構造変化経路の候補をターゲット MD(TMD)で探索しました。この探索では、ATP の結合や ADP の解離に伴って生じる固定子の構造変化の順序を変えた三つの経路を仮定し、それぞれのケースで回転子がどのように回転するかを調べました(図 2A)。その結果、「ATPの結合による構造変化に続いて、ADP の解離による構造変化が起こる(経路 1)」という順序において、回転子が 80 度回転し得ることが分かりました(図 2B)。次に、80 度回転した経路を基に、ストリング法を用いて最も自然な構造遷移経路(最小自由エネルギー経路)を求めました。ストリング法では、構造の異なる複数のレプリカ構造(イメージ)を準備し、それぞれに対して並列に MD シミュレーションを行うことで、状態間を結ぶエネルギー的に最も妥当な経路を探索します。本研究では、64 個のイメージを用いてストリング法を適用したため、通常の MD 計算と比較して 64 倍多い計算量が必要でしたが、「富岳」上で効率の良い MD 計算が可能な GENESIS を用いたことで、このような大規模計算を実現することができました。

図 2 ターゲット MD による 80 度サブステップ回転の構造変化経路の探索

図 2 ターゲット MD による 80 度サブステップ回転の構造変化経路の探索

その結果、F1-ATPase の 80 度回転は、(1)固定子の構造歪みによって回転が始まり、(2)回転子が周囲の構造から押し出されるようにして回転が完了する、という 2 段階の過程で駆動されていることが明らかになりました(図 3)。このメカニズムは、従来提案されていた静電相互作用や立体障害による駆動力を包含するモデルとして、「歪み・押し出し機構(distortion-push mechanism)」と名付けました。

図 3 生体分子モーターF1-ATPase における 80 度サブステップの回転駆動機構

図 3 生体分子モーターF1-ATPase における 80 度サブステップの回転駆動機構

本研究は、従来の単一構造解析や外力による回転シミュレーションでは見えなかった自然な回転駆動の全体像を明らかにしました。それは、生体分子モーターの力学的理解に大きな進展をもたらす成果といえます。

今後の展望

F1-ATPase を含む ATP 合成酵素は、細胞内で化学エネルギー(ATP)を合成・分解し、生命活動に必要なエネルギー変換を担う分子モーターです。これらの分子装置は生物種を超えて高度に保存されており、構造や機能の基本原理には共通性があります。そのため、本研究で明らかになった F1-ATPase の回転駆動メカニズムは、他の ATP 駆動型分子モーターにも共通する普遍的な原理を含んでいる可能性があります。

また、F1-ATPase のようなナノスケールのエネルギー変換機構を理解することは、生命科学の基礎研究として重要であると同時に、人工分子モーターの開発や、分子レベルでの機械的な動作を制御するナノテクノロジーへの応用にもつながると期待されます。

参考文献

  1. Motohashi, M., Oide, M., Kobayashi, C., Jung, J., Muneyuki, E., Sugita, Y. Proc. Natl. Acad. Sci. 122, e2502642122 (2025). https://doi.org/10.1073/pnas.2502642122
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